ようこそ

落花生

道行く人にこれはなんですかと尋ねたら、10人中10人が「落花生」と答えるだろう。
そのような物体が道の端に落ちていた。

カナダ・バンクーバーの初秋。
霜で濡れた道路が乾き始めた昼下がりに私はそれを見つけた。
拾って観察してみる。手触りはまさに落花生だ。

軽く振ってみた。
耳を当ててみた。
匂いを嗅いでみた。
何の変哲もない。

「やぁ」

背後から聞こえたその声に振り返ると、トムがいた。
彼は同じブロックに住んでいる。

「ここら辺にイヤホンを落としてね。」
「いま探している最中なんだ。」
「…あれ?それ僕のジャン!」

そう言って彼は落花生を指差す。

『いや、これはただの落花生だよ。』
「違うよ。イヤホンだよ。ほら。」

トムはその”落花生”を私から奪い取り、殻をパカッと開いた。

『…なんだ。やっぱり普通の落花生じゃん。』

中には2つのピーナッツが行儀良く収まっている。
恥ずかしながら狼狽してしまったじゃないか。
そう文句を言おうとした瞬間、トムが片方のピーナッツを取り出し、右耳に押し込んだ。

「あーこれこれ!よかった、見つかって。」

『…え?』

そんなはずはない。
私はその”落花生”の殻をトムから奪い取る。
まじまじと観察してみると、その殻の裏側に「MADISON」と書いてある。

まさか!今業界で話題になっている天才技師の「MADISON」!?

神懸った技術とデザイン力を用いたその製品はすべてオーダーメイド。
代わりに多大な対価を要求する技師がいると聞いたことがある。

トムの耳から聞こえる音漏れに、心臓の鼓動が更に早まる。
頬を伝う汗。

これは、紛れもなく”イヤホン”だ。

視界が歪む。
自慢げにほほ笑むトムの顔。
我々リスの世界でも、技術はここまで進化していっているのか。
あまりの恐ろしさに私は大きな尻尾を震わせた。

ビジネスメールに潜む罠

ビジネスメールはいつもフォーマルでなくてはいけない。
ある程度の堅苦しさが必要なのだ。

しかし、その堅牢さを脅かす存在がある。
今回はそのようなビジネスメールに潜む罠を2つ紹介したいと思う。

まず一つ目は「毎々」。

毎々(読み:まいまい)

意味:「いつも」や「毎回」、「その度ごとに」を意味する言葉。目上の人間や取引先に向けたメールや手紙などで「毎々お世話になっております」や「毎々格別のご愛顧にあずかり、ありがとうございます」といった表現として用いられることが多い。

Weblio辞書

メールとは基本的に文字という媒体を介して行うコミュニケーションである。
そのため、受け取り手が脳内で読字を行うことが多い。
ここで問題になるのが「イントネーション」である。
勿論、同音の単語でも表記が違えばその相違を理解することができるが、脳内で無意識に発音された”別の意味の同音単語”が思考を邪魔する場合がある。
先ほどの「読字」でさえ、「独自」という単語が脳内に浮かんだ人もいるだろう。

「毎々」「まいまい」

あなたの周りにいないだろうか。
「まいまい」というあだ名で呼ばれていた「まい」という名前の女性が。

周辺にいなくとも、例えば元AKBの「大島麻衣」さんはファンに「まいまい」という愛称で呼ばれている。

「毎々お世話になっております」

もう、大島麻衣さんの友人が挨拶をしにきたようにしか聞こえない。
これは確実にビジネスメールのフォーマル感を阻害している。


そして2つ目。私はこちらの方が大きな問題だと思っている。
それは「お知りおきください」という敬語だ。

お知りおきください

意味:対象の事柄について知っておいてほしい、把握しておいてほしいということを相手に丁寧に依頼する表現

Chatwork

何らかの連絡やお知らせを行う際に用いられる敬語である。

1つ目を理解したあなたならピンときているはずだ。

何度聞いても、「椅子」を要求しているようにしか聞こえないのだ。
椅子、いわゆる「お尻置き」をください、と。
まるで枕を「お首休め」というように、ベッドを「お体置き」というように。

フォーマルなメールの中で、急に臀部が現れるのである。
これほど硬さに欠けるものはない。
読んでいる人の脳は突然の柔らかさに混乱してしまうだろう。

そしてなにより気にかかるのは、キーボードの予測変換では「お知りおきください」よりも先に「お尻おきください」が出てくることである。
人間よりも多くの単語や漢字を記憶しているコンピュータがこのような提示をしてくる。
それこそがこの敬語の欠陥を表しているのではないだろうか。

「お知りおきください」

今後は、この言葉がニトリやIKEAだけで用いられることを願っている。

検温

年末になると思い出す出来事がある。

あれは3年前の2021年。その年末に私は地方への帰省を企てていた。

帰省当日、羽田空港に向かう。
搭乗手続きは事前にiPhoneで済ませてあったので、搭乗口まではすんなりと進んだ。

搭乗口を通過し、飛行機へと進む。

その入り口に近づいたとき、CAさんが立っていることに気が付いた。
右手には非接触検温器を持っている。

2021年。
その年はまだコロナの影響が根強く残っており、飲食店やイベント会場の入り口では非接触検温器による検温が行われていた。

「コロナ禍からの脱却はまだまだ遠いか…」
切ない気持ちになりながらも僕は前髪をかき上げ、おでこを見せた。

しかし、CAさんが明らかに狼狽している。
なかなか体温を測ってくれない。一体どうしたんだ!
私が口を開こうとしたその時、CAさんがこう言った。

「あの、搭乗用QRコードの提示を、お願いします。」

なるほど、バーコードリーダーだったんだね。

おでこは丸出しのまま、体が熱を帯びていくのが分かる。
コロナによる辱めで、私の体温は37.5℃をはるかに上回った。

鬼滅の刃

「水の呼吸 壱の型 水面切りッ!!」

皆さんは『鬼滅の刃』をご存じだろうか。
2016年に少年ジャンプで連載が開始され、アニメ化と共に絶大な人気を得た少年漫画だ。

多くの国民を味方につけたこの作品で、私はある1つの重大な事実に気が付いた。

まず簡単にあらすじを説明させていただこう。


舞台は大正時代の日本。
そこでは人間を襲う「鬼」と、その鬼を退治するための軍隊「鬼殺隊」(きさつたい)が対立していた。
主人公の竈門炭次郎(かまどたんじろう)は家族を鬼に襲われたのち、妹が鬼になってしまう。
その妹を人間に戻すため、炭次郎は鬼殺隊に入隊し、鬼と戦う覚悟を決める。


ざっとこんな感じだ。
ちなみに冒頭に記載したセリフも竈門炭次郎が繰り出す必殺技の一つである。

私は何の気なしにアニメを見ていた。

その話は「鬼が鬼殺隊の屋敷を奇襲する」という内容。
鬼は太陽の光に当たると朽ちてしまう身体を持つため、夜中に行動する。
屋敷の闇に紛れて、鬼が隊員たちを襲っていた。

そのシーンを見てふと思った。

あれ?もしかして、鬼殺隊って夜寝てる?

千年の歴史を持ち、鬼を倒すためだけに存在する軍隊。
その軍隊が鬼の最も活発な時間帯に眠っているのだ。

まずいまずい!と焦る隊員たち。

夜寝てるからじゃない?

鬼の駆逐に命を捧げるのであれば、千年の中で順応すべきなのではないのか。

どうしても気になったのでインターネットで調べてみたところ、Yahoo知恵袋に同様の質問があった。
「鬼殺隊はいつ寝ていますか?」
その回答を下に記す。

夜勤シフトを組んでいます。

Yahoo知恵袋より

鬼殺隊のみんな、いろいろ言ってごめん。
いつもありがとう。

またもや睡眠の話で申し訳ない。

最近私は寝つきが悪い。
布団に入ってから入眠までが長いのだ。

そんな私がどうしても眠れないときに行う最終手段、それは「羊を数えること」だ。

古典的なやり方だと思うだろう。
しかし、原点にして頂点、気づけば寝ているのだ。

僕はまだ100匹目の羊を見たことがない。

そんなある日、会社で働いていると、上司から

「今度の展示会でさ、こないだ刷ったチラシを100枚持っていこうと思うんだ。準備しておいて。」

と言われた。

「分かりました!」
元気よく答えた私はその足で倉庫に向かい、該当のチラシをガサッと掴んだ。

そして、数えたのだ。

チラシが1枚、チラシが2枚、チラシが3枚…

ハッと目を開いた。

次の日になっていた。

原点にして頂点。
それが持つ力は、底知れない。

しりとり

風邪を引いた。酷い寒気と高熱。
満身創痍の身体に鞭を打ち、病院に向かった。

その病院はいわゆる老舗で、昼下がりの待合室には数組の親子が座っていた。

私の目の前には推定30代後半の母親と小学校低学年の娘。
おっとりとした母親に対して娘は活発で、退屈そうに体を揺らしている。

そんな平和な光景を見て私の頬は無意識に緩んだ。

3分ほど経っただろうか。
その娘が唐突に口を開いた。

「ママー、しりとりしよう!」

『いいよー。しりとり。』とママ。

「りす!」

『すいか。』

「かさ!」

『さめ。』

「めー、めー、、、」

「目つぶし!」

……..

!?

目つぶし!?小学校の!?女の子が!?
怖い。怖いよ。怖すぎる。
私は風邪ではない寒気を感じた。

いや、心配なのは母親だ。
愛娘の口から出た唐突の急所攻撃に目をひん剥いている。

はっと我を取り戻したのち、母親は恐る恐る娘に尋ねた。

『目つぶしの意味、分かってる…?』

「うん!目にさすやつ!」

白目をむく母親。

そして一度はしりとりを再開しようとしたものの、どうしても心の整理がつかない母親は根気強く娘を問いただした。
その結果、衝撃の事実が明らかになる。

娘は「目つぶし」ではなく、「目薬」と言っていたのだ。

なーんだ。
目に『刺す』んじゃなくて、『差す』のね。
ったく、びっくりさせないでよ。

母親と同じく胸をなでおろした私は、その10分後に重度の花粉症だと診断される。

お医者さん、目薬をおくれ。

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